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2025年2月12日

梶原の渡し(2)時代の背景

江戸時代から純農村であった梶原堀之内村(堀船1~3丁目)に接する王子村には、王子製紙の前身が明治6年1873年に「抄紙会社」として設立されていました。また、梶原堀之内村の近くに東北線の王子駅が開設されたのは、明治16年1883年です。これは日本鉄道(私鉄、現在はJR)の上野と熊谷の間の開業と同時です。田端駅は明治29年1896年に日本鉄道の駅として開業しました。尾久駅は昭和4年1929年の開業であり、上中里駅は昭和8年1933年の開業でした。王子駅は非常に古くからあります。

現在の位置の都電(当時は王子電車:王電、私鉄)の王子駅の開業は大正14年1925年です。

一方、旧キリンビール東京工場(昭和32年1957年完成)、現在のプリントメディア(平成13年2003年完成)の敷地には、下野紡績会社の工場(後の東洋紡績王子工場)ができました(明治41年1908年)(註1)

福性寺の延命地蔵尊福性寺門前延命地蔵尊の東洋紡績社員の寄付した花立て

延命地蔵尊 渡しからの通勤路にあります 最も左の石塔の下の「花立と水鉢の石」には東洋紡績の社員の寄付したことが記されています 令和元年6月13日(リンク最下段)の記事をご覧ください

対岸の西新井村や江北村から、たくさんの人々が工場建設(数百人)のために通い、勤務(1000人)のために通勤することが予想されました(註2)

しかし「小台の渡し」(尾久の渡し)と「豊島の渡し」を利用することは、遠回りとなります。この不便さの解決のために、下野紡績の工場に直線的に至る対岸からの渡しが考えられました。これが明治42年1909年に開設された「梶原の渡し」です。

江北村大字宮城の人々にとっては、120mほどの幅の隅田川をわたれば紡績工場でした。

(註1)松下豊 東洋紡績株式会社広報グループ「東洋紡績王子工場について」.堀船郷土史平成増補版。平成28年2016年10月福性寺刊

(註2)高梨輝憲「わが町の昔を語る」昭和48年1973年4月184ページ(著者は故人、自費出版)

花立てには、「東洋紡績有志一同」と名前があります。世話人 川島久 水野□次郎 松木源 中川トヨ 東洋紡績有志一同 大正八年□□(1919年)

工場の近くの福性寺への寄付=布施 花立てには東洋紡績有志一同と世話人の名前があります 世話人 川島久 水野□次郎 松木源 中川トヨ 東洋紡績有志一同 大正八年□□(1919年)この中にお檀家はいません 

令和元年2019年6月2日東洋紡績社員の施主・お檀家 老人・高齢者医療の目的https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3594

令和元年2019年6月13日門前の延命地蔵菩薩のお家https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3658


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