梶原の渡しは里道の突き当りやや左にありました。
Google Map上の「梶原の渡船場跡」の位置は間違っています(2025/02/26アクセス)。これは説明板の位置です。
現在の隅田川の防潮堤は、小台橋~豊島橋の2145mの左岸の区間(足立区宮城)は、昭和45年1970年~1972年の工事のあと竣工しました。右岸の小台橋~豊島橋間は、1968年~1973年が工事期間です。前回の記事の中で渡し付近の竣工の時期を書きました。
現在の防潮堤は、いわゆるカミソリ堤防と呼ばれています。小台橋から豊島橋までの区間では、川面を見ることができなないことが多くなり、往時をしのぶ手がかりを失ってしまいました(註1 註2)。
しかし、キリンビール東京工場(平成10年1998年)のあとにプリントメディアと堀船周回路ができたころ(平成15年2003年)、水面をみることができる堀船周回路などテラスがつくられました。
堀船側の渡しの渡船場跡(里道突き当り)では、全く水面を見ることができません(写真)。ここに案内板の設置が検討されていると聞きました。
しかし、150m下流のスーパー堤防:堀船周回路の上では、旧梶原の渡し付近の隅田川を望むことができます。
この部分に梶原の渡しの案内板があります。案内板の上流にあったと正確に書かれています。
(註1)望月崇、島正之、篠田裕.隅田川における防潮堤建設史(自由投稿論文)土木史研究第18号 平成10年1998年5月発行(表2)からの読み取り小台橋~豊島橋2145m左岸(足立区宮城)昭和45年1970年~昭和47年1972年、右岸(北区堀船)昭和43年1968年~昭和48年1973年完成。
(註2)防潮堤の石製の定礎板。前回記事。令和7年2025年2月25日梶原の渡し(10)それでも宮城へhttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/27458
令和5年2023年3月19日梶原の渡船場跡 お彼岸二日目 https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/17107
次回の記事の中で、左岸の現在の写真をアップします。