「お墓はお骨の置き場」ではありませんと何度も書きました。「お墓はお骨の置き場」でキーワード検索すると、九つもホームページに記事がありました。
令和2年2020年3月6日外にあるロッカー式のお墓 マリリンモンローのお墓https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/5533
令和2年 2020年8月10日自宅近くのお墓 心の平安をえるための場所https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/6637
令和2年2020年9月19日「墓所の大売出し」ではなくて「お寺を広報したいなー!」(1)https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/6933
令和6年2024年5月15日 故人の曾孫さんが高校1年生になりました https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/23001
「母の日」や「父の日」の墓参の時に、皆様のお話をお聴きすると、つくづく「お墓はお骨の置き場」ではないと思います。
最近、以下の記事を読みました。
「お墓は単なるお骨の収蔵場所ではなく、家族の記憶やつながりを確かめる場所でもある。・・・お墓の本質はメモリアリゼーションであり、生人(しょうじゃ)が死者と交流する場。そうした営みこそ人間にしかできない葬送文化なのです」(聖徳大学長江曜子教授、月刊誌10月号令和7年)
memorialization追悼、故人の人生をたどりながら、立派であった故人の死を悼むでしょうか。
仏教の世界では、お墓自体がが仏様の拠り所ですから、故人の成仏を祈ります。
病理学者、医学者とか老化研究者とか呼ばれていましたが、学者とか大学教授の言うこと(学説)を信用しないほうです(笑)研究者の性(さが)です。ごめんなさい!特に医学の分野では。本当に「間違い」「非科学」が書いてあることがあります。
どのような文献や体験から、長江教授の文章出てきたのでしょうか。そこが知りたいですね。