
本日朝のお線香小屋前 年々アンズの実が小さくなるような気がします 檀家様(お母様 体調のために墓参が難しい)から電話がありました 墓参のおりに娘様がアンズを持ち帰りAI(笑)でジャムの作り方を学んでお母様に届けたとのこと 立派な娘様です また娘様を立派にお育てになったお母様もまた立派で尊敬いたします
土曜日と日曜日は、年回忌法要と葬儀を執式しました。後期高齢者の身にはなかなかのハードワークでした。お葬儀については、また改めて書きます。
その土・日の法要の一つに、ご両親の「三十三・二十三回忌法要」がありました。ずいぶん昔に旅立たれた仏様の法要ですが、それにもかかわらず、施主様ご夫妻にお子様ご夫妻、そしてお孫様まで、合わせて9人ものご家族が集まられました。欠席者は一人もいません。
施主様のお父様は、お仕事を知っているだけで、深いお付き合いこそありませんでしたが、とても昔気質(かたぎ)な方であったと記憶しています。一方、お母様は私の同級生(施主様のご兄弟)のお母様でもあり、すべてにおいて控えめで、本当に優しい方でした。
私が50年ほど前、父から住職を引き継いだのは30歳の時でした。その若かりし頃(あったんですよ!)から、お母様には本当にお世話になったものです。お施餓鬼(せがき)などの寺の行事の際には、毎回、朝早くからお手伝いに駆けつけてくださいました。
「私は福性寺の応援団ですから」「住職さんを応援していますから」と言ってくださいました。この応援の姿勢だけは、「控えめ」ではなかったようです。
法要の席で、施主様から「母は住職さんのことを本当に信頼していたんですよ」とお聞きしました。そういえば、ご近所にお住まいの十人近くの檀家様の奥様からも、同じようなお言葉をいただいたことがありました。近隣の檀家様の前でも同じようにお話しをされたのでしょう。
振り返ってみると、当時の私はまだ30歳の新米住職です。何ができるわけでもなく(これは本当=笑)、法話で一体何を話していたのか、今となっては冷や汗が出るばかりで思い出せません。
当時の葬儀や法要の喪主様や施主様方は、皆様が私より年長で、人生経験も豊富な大先輩ばかりでした。中には従軍や戦闘の過酷な体験をされた方も大勢いらっしゃいました。そんな皆様を前で、本を読んで仕込んだ即席の法話や、練習したての法話が、一体どれほどの意味を持っていたのでしょうか。
それにもかかわらず、私が今日までこうして住職を続けてこられたのは、未熟な若造(か、それ以下)へ、皆様が常に温かく好意的な視線を送り、育ててくださったからに他なりません。心から感謝をしています。
法要の最後に、ご両親のご遺影をお持ちいただき、ご本尊様を背景に記念写真を撮影しました。お持ちになったご遺影は、半切(はんせつ)サイズの大きなモノクロ写真でした。当時はカラー写真もありましたが、「遺影はやはりモノクロがよい」とされた時代です。ここに過去世と現世のご家族が全員集合です。
この日は副住職も院代も葬儀に出ており、留守でした。「手作り法要」でした。そのため、記念写真のシャッターを押したのは私です。
元来、住職は、ご本尊様の「パシリ(使い走り)」にすぎません。こうして皆様の笑顔の写真を撮る裏方に徹することができた時間が、有り難く感じられた法要でした。
参考記事
令和7年2025年5月13日 旦那様の早逝 母の日にちなんでhttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/29123
令和7年2025年2月10日「わたし、こういうことスキなんです」「日本語がよかった」https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/27013
令和6年2024年3月1日母が一番行きたかった場所https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/21596
令和元年2019年10月7日60年間!の独身 住職は真似できないですhttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4447
平成30年2018年8月28日50年間以上の独身 諷誦文(仏教的な追悼文)とは?https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/1709


