喜捨(=布施)とは、故人の所有していた財物を残された者に喜んでもらえる形にして、返すという意味ですね。
人は物欲をなかなか断ち切ることができません。もちろん私もです(人並み以上?!と言わないで下さい:笑)。死後に財産を残します。故人の家族は、死後にその財産を世間・社会に返すことで、故人の滅罪と成仏を祈ります。病院・大学・自治体・町会・恵まれない方々などへの寄付もよく行われています。さらに、某大学医学部の同窓会誌には、付属病院あてに「追善供養のため」の寄付の芳名欄があります。素晴らしいと思います。
また、お菓子(葬式饅頭もそのひとつ)を配布することなどが普通に行われてきました。このようなことを書いていると古いといわれてしまいますか?町の中のお葬式では、小学校でお友だちから聞いて並んだ「黄色いキャラメル(森永製菓)の配布をよく思い出します」とある奥様(私と同じ世代)からお聞きしました。また、「お菓子袋を頂くのに、何度か並んだことがあります」とも60歳代のお檀家からもお聞きしました。子供時代の印象の深いできごとで、よくご記憶のようです。
私が子供の頃(昭和35年1960年頃まで)、お葬式の時に、遊んでいたり通行している子供や大人に、お菓子の袋を配ることは普通でした。もちろん、私は寺の子供ですから、お葬式の日程は、いわば「内部情報!」でした。このため、列に並んで、よくお菓子を頂きました。なぜお菓子を頂けるのかは、父からよく聞かされました。もう少し前では、硬貨の入った袋や「おひねり」も配ったようです(父からの伝聞)。
子供や通行人などへのお菓子の配布=喜捨は、福性寺のお檀家では、昭和62年1987年の葬儀が最後でした。江戸時代からのご家系で、大きなご商売をなさっているお家でした。「アーいいな!意義深いな!」と思い見ていました。「ご供養ですから、お受け取り下さい」などと言って、お渡ししていました。
父の葬儀(昭和54年1979年亡)でも、母の強い気持ちから、お菓子やお砂糖(=時代を感じます)の配布をしました。また、寺のある堀船3丁目町会にも寄付をしました。
今では、お葬式が葬儀場で行われるようになり、すっかりお菓子の配布を見なくなりました。しかし、ずいぶん昔(50年近く前?)ですが、町屋葬儀場(火葬場)の外の歩道で、テーブルを用意して「喜捨のお菓子配布」を見たことがあります。
よい慣習・習俗(良俗)であったと思います。