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2019年3月17日

ミャンマーのお客様 お彼岸の入りの日

ミャンマー人の皆様

ミャンマーの皆様と病院の副院長先生 この後お檀家の十七回忌と四十九日忌法要があり長くお話ができませんでした

ミャンマー人のお客様5人(仏教徒)とお檀家の公立の大病院の副院長先生が来寺されました(写真上)。

外国人の皆様は、浅草寺や成田山など大きなお寺を訪問する機会はあっても、街中のいわゆる「小さな寺」を訪問したことがないそうです。同行の副院長先生はミャンマー語が話せるのです(驚きました!)。先生とは長いお付き合いですが、初めて知りました。頭のよい方は、才能を自慢しませんね。

また、ミャンマー人の皆様は、日本語を話すことができ、日本におけるミャンマー語の先生でした。また、英語も大丈夫でした。簡単に福性寺とご本尊様の歴史を英語ご説明して、日本人僧侶の生活を説明しました。

このあと、私が四智梵語(声明・しょうみょう)を唱え、お焼香をして頂きました。そうしましたら、お布施を頂戴してしまいました(写真下)。見学ではないんですね。参拝です。仏教の世界ではお布施喜捨は大きな意味があります。ありがたく宗教法人の収入として福性寺の帳簿に記載しました。皆様は五体投地でご本尊様にお参りしていました。

お布施の表書き

皆様からのお布施の表書き 時間がなくて意味をお聞きすることを忘れました 亡くなりましたご家族のためらしいです

ミャンマーで思い出すのは「ビルマ(ミャンマー旧国家名)の竪琴」ですか?私はそれと、太平洋戦争(当時は大東亜戦争)中の「ビルマの戦い」です。

大戦中、ビルマは自国の独立のために、日本軍と協力関係にありました。また、ビルマの独立を支援して名高い「南機関」などにより、ビルマ独立の方針が立てられました。昭和18年・1943年には「ビルマ国」は独立しました。

現在、ミャンマーの国家最高顧問であるアウンサンスーチー氏(ノーベル平和賞)の父、アウンサン将軍は、1945年の始めまでは日本軍に協力的でありました。その後は、イギリスに協力し、日本と敵対関係となります。しかし、日本に勝利したイギリスは、ビルマを再びイギリスの植民地とします。イギリスの統治下であっても、将軍は日本人の戦犯の釈放に努めています。1948年に独立しています。また、戦後だいぶたってからですが、ミャンマー政府は、独立に貢献した「南機関」の旧軍人たちに国家最高の勲章を授与しています。戦後、ミャンマーと最も友好的な関係を維持したのは、敗戦国=日本と言えると思います。


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