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2025年2月1日

江戸時代の福性寺のお戒名が高野山にあります

「高野山龍泉院過去帳の研究—近世荒川流域の庶民・村・信仰」倉木常夫様・榎本龍治様著(174ページCD付2008年三省堂5000円)という本があります。不明にも知りませんでした。

堀船の隅田川対岸の清水姓の郷土史家の先生から教えて頂きました。

龍泉院に、江戸時代の武蔵野国の村々のお戒名のある過去帳があります。もちろん、梶原堀之内村(現在の北区堀船1から3丁目)の福性寺のお檀家のお戒名もあります。

この本には、龍泉院住職の楠公延師の「刊行にあたり」があります。

「高野山龍泉院過去帳の研究—近世荒川流域の庶民・村・信仰」倉木常夫・榎本龍治(174ページCD付2008年三省堂)

「高野山龍泉院過去帳の研究—近世荒川流域の庶民・村・信仰」倉木常夫・榎本龍治著(174ページCD付2008年三省堂)榎本龍治様より掲載許可をメールで頂きました

次に執筆者代表の倉木常夫様の「はじめに」(序文)があります。「昭和五十年の祖父・・・の五十回忌に合わせて・・・我が家の歴史を纏めようとした。・・・高野山のお寺に豊島関係の記録があると言う・・・」「龍泉院過去帳とは村人たちが高野山に供養を依頼した供養の記録」です。ご祖父様の五十回忌法要(の意味・意義)を大いにお考えになったのでしょうか。

「供養依頼を取り次いだのは、使僧(高野聖)とよばれる勧化(かんげ)僧で・・・旦那場(担当の地域)を巡回して・・・供養依頼を受け付け・・・金銭を徴収するといった勧化活動を繰り返していた」「また村民・・・が高野山に登り・・・担当院家で直接供養してもらう場合もあった」と書かれています。

著者二人による人文科学的な解析と考察があります。

それでは梶原堀之内村の供養者姓(名、施主)を書きます(茶色)。現在のお檀家にはない姓は姓だけを書き、名前は省略してあります。

寛永12年1635 福性寺 供養対象は「志諸聖霊」この時代の住職は伝わっていません。無住職も考えられます。寛永18年1641 源太郎 善左衛門(以上、姓なし)明暦4年1658 橋本 市川 鈴木 舟登 小宮半左衛門 保坂 貞享3年1686 石井安右衛門 石井又兵衛 大江 石井覚左衛門 元禄12年1699 大郷吉左衛門 元禄16年1703 石井五右衛門 早川 小宮七郎兵衛 岩堀 石井五平治 小泉門右衛門 榎本 醍醐(大郷?)吉左衛門 石井又三郎 石井新平 享保8年1723 石井新平 堀江榮太郎 享保12年1727 堀江傳三郎 小泉伊右衛門 享保17年1732 榎本 小泉伊右衛門 寛保2年1742 醍醐吉左衛門 石井喜平治 宝暦7年1757 石井新左衛門 明和6年1769 石井次兵衛 堀江孫四郎 堀江源八 大郷佐五右衛門 天明9年1789 堀江國右衛門 澤邊左衛門 石井林平 石井覚左衛門 石井常右衛門 醍醐彌右衛門 寛政6年1794 堀江榮太郎 堀江専右衛門 醍醐吉右衛門 寛政9年1797 石井與四郎 寛政12年1800 小宮長右衛門 堀江庄太郎 文化5年1808 小宮長治郎 澤部由兵衛 堀江粂五郎 小宮初五郎 澤部増五郎 堀江留五郎 村瀬源五郎 山田 小宮半助 澤部栄次郎 文政12年1829 海老原清治郎 文政13年1830 堀江傳三郎 堀江斧次郎 堀江孫次郎 堀江辰五郎 小宮庄次郎 醍醐佐七 堀江三郎兵衛 堀江與市 堀江松五郎 天保2年1831 石井角左衛門 堀江岡右衛門 石井常江右門 小宮五兵衛 堀江傳三郎 堀江粂五郎 澤部栄次郎 堀江松五郎 弘化2年1845 石井與七 堀江傳三郎 石井角左衛門 堀江松五郎 小宮利兵衛 澤部喜太郎

江戸時代から続く福性寺のお檀家は以下の諸家です。小宮家 石井家 小泉家 醍醐・大郷家 堀江家 澤邊・澤部家 村瀬家 海老原家です。代々受け継がれたお名前(通り字)や字(通字とおりじ)もありますから、住職には身近に感じるお名前があります。

それにしましても、お祖父様の五十回忌に、先祖が供養したお戒名を調査するとは、倉木様はご立派です。福性寺よりも隅田川の上流の清光寺(直線距離で1.5Km 道のりで2Km )の檀家様で故人です。何度か龍泉院に出かけているようです。私も団体参拝で宿泊したことがあります。

なお、この著書は北豊島郡、北足立郡、南足立郡、南埼玉郡の村単位の膨大な過去帳の記録です。

福性寺分は≪北豊島郡≫3.「東京府北豊島郡村文過去帳」「王子区」の梶原堀之内にあります。年々、供養者が増えています。

著者の倉木常夫様に感謝すると同時にご冥福を祈念いたします。転載を許可頂きました榎本龍治様に深謝いたします。

令和6年2024年8月30日「福性寺の歴史」大日如来石仏 お名前は? https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/24707

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令和2年2020年1月15日「仏様が出てきました!」 https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/5170

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本日は13回忌と17回忌のご法事を執式します。

明日も同様です。節分ですが福性寺には特別な行事がありません。皆様のご家庭と同様です。


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