昨日6月2日(月)のお昼前から、23区内の二つの老人ホームの檀家様を訪問してきました。葬儀も年回忌法要もない日でした。たのしい。
先代住職(父)の代から老人ホームに出かけています。父の時代は老人ホームに入所する檀家様はとても少なかったです。父は目の見えない皆さんの施設によく出かけていました。
相変わらず福性寺からのお土産は、地元の明美製菓の「都電もなか」です。
午後から2軒目の訪問先です。認知症と聞いています。しかし、私を見たとたんに「先生!」と呼んでくれました。うれしい。住職ですが「先生」と呼ぶ檀家様は多いです。
コンピューター(PC )を持参します。PCのパワーポイントには、山門から本堂前、お墓までの参道とお墓のイメージは必須です。山門から本堂前までは、どなたにでも同じスライドです。
「いいお寺になりましたね」ありがとうございます。「ステキなお寺になりました」昔はひどかったですね(お互いに笑)認知症があるのに、何を言うと私が喜ぶのかこの方はご存知です。ありがたい檀家様です。本当に認知症なのでしょうか。
この奥さんの知っている福性寺は、木造の仮本堂、客殿は関東大震災で傾いたもの、屋根のある山門はありませんでした(写真)。
視力が充分ではないようです。今後はパワーポイントの中の写真を可能な限り大きくすることにしました。大きなモニターのPCを買おうかなと考えています。
「お父さんの時代からお世話になりました」私の父を記憶いただいています。「仲がよかったから」これは旦那様と父の仲です。

関東大震災後の大正14年1925年頃完成 昭和32年1957年頃撮影 1962年まで 向かって右側に小さな石塔があり宝篋印塔も半分だけ見えます スクーターのナンバーは4545です どなたのスクーターなのでしょうか 戸にガラスがあります 向かって右のガラスの下の小さな四角の穴はお賽銭用です(福性寺の歴史第9版p68)
「一人はつまらないです」何度も言います。夫婦は歳をとってから楽しいようです。アー・・・お返事できません。
帰宅時には「おいそがしいところを申し訳なかったですね」と真顔で。大丈夫です。もう、医師はしていません。時間ができてきました。お気遣いをいただきました。本当に認知症なのでしょうか。
毎回のことですが、帰寺の時はどなたもちょっと寂しそうな感じです。今回もです。私も切なくなります。
帰寺の途中、お酒と肴になる魚(しめ鯖焼きとカツオの刺身)を買いました。
夕ご飯が待ち遠しかったです。
「認知症がひどくならないうちに行ってください」と隣接区の老人ホームに入所した奥さんについて、娘様から要請されています。また、楽しい思い出を話すことができそうです。記事にしますね。
令和7年2025年2月14日久しぶりの老人ホーム ありがたい言葉https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/27089
令和6年2024年2月17日練馬区の老人ホームにお見舞い 無から興すhttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/17821
平成31年2019年1月13日老人ホーム訪問 無瞋恚(むしんに)の人 https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/2446
平成28年2016年5月24日仙台市太白区へ出張・・・ https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/100