明治42年(1909年)に開設され昭和36年(1961年)に終了した「梶原の渡し」について書いてきました。福性寺の近くの隅田川にありました。12 回にわたって記事を書きました。以下です。
福性寺ホームページ(HP) 令和5年2023年3月19日梶原の渡船場跡(1) お彼岸二日目 https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/17107 ~ 令和7年2025年2月28日梶原の渡し(12) 現在の渡し跡 左岸 https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/27284
以上を冊子にまとめてみました。冊子の中に26枚の写真や図があります。原稿と写真を社会福祉法人コロニー・コロニー印刷様に送りました。福性寺のご本尊様の四百年記念出版となります。
日本の産業が軽工業から重工業・化学工業に変化するなかで、開設され勢いを失い終了した歴史があります。この過程が理解できるように、産業構造の変化や交通の発展との関係を中心に書きました。しかし、写真と図が26枚あります。写真を見るだけで楽しい冊子となるように考えました。
11月8日(土)の「堀船郷土史を語る会」主催の講演会で配布します。講演会においでください。
GHQ占領下の米軍による航空写真、昭和22年(1947年)撮影、をお示しします。
写真の黄色〇が宮城側の渡船場です。以下のリンクの船頭さんが立っている場所です。
令和7年2025年2月13日梶原の渡し(3)梶原の渡しの開設https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/27071
石神井川の合流点(写真の中の「石神井川」のやや左下)の下流に板橋火薬製造所王子分工場のY字型の広い水路(船着き場)の入り口が見えます。写真ではY字型がわかりません。
この水路を横断する橋が写真の左端に見えます。名前をご存知の皆様は教えてください。

占領下の米軍による航空写真 昭和22年(1947年)隅田川のカーブの内側(宮城側)では浅間淵から下流に浅瀬が続いています 石神井川からの土砂が堆積したと思われます 宮城側の発着場(黄色〇)が浅瀬に伸び堀船側の渡船場(赤色)は長方形で川と平行 渡し船(青)が見えます 白は福性寺本堂(国土地理院航空写真 トリミングしました 昭和22年7月 19470724USA-M380-131)(出典:国土地理院ウェブサイト)