大学時代の友人や元の職場の皆様と夕ご飯を共にすると、お寺やお墓の話は毎回のようにでます。しかし、仏教や真言宗それ自体に対する話題や質問はほとんど出ません。安心して夕ご飯をできます。

今朝の涅槃仏様 釈尊の説いた理想(仏教)に礼拝しています トラ ウシ ゾウ キジがいます 父の十三回忌に福性寺から大学に通った皆様と総代様からの寄付により建立しました 平成3年1991年建立です 今日は父の命日です この日は毎年お参りの方々が必ずいます
しかし、中には私よりもマジメな人がいます。ゆったりとした雰囲気の中でお酒のある環境で、質問がありましたので一応(=態度が悪いです)の説明をしました。
「それでは、仏教は神がいませんから哲学ということもできますか?」すかさずの質問をいただきました。元、同僚から。この人!こんな話題が好きだったんだ。ちょっと驚きました。
その後、お酒の席ですから、短く説明してホームページに書きますで終わり、他愛のない話題に移りました。それで今日の記事となりました。
実は「哲学は何か」ということがわからないです。医学部に哲学の講義あったかな?(笑)
しかし「仏教を哲学として見ることはできる」とよく聞くことがあります。
哲学はよくわからない(笑)のですが、もし「人はどう生きるべきかを考える学問」とすれば、仏教は哲学でもよいと思います。
しかし、仏教には、修行、儀礼、信仰、救済、救いのための実践的な行為があります。現代の大乗仏教では、こちらが主であるような気がします。このため、仏教は宗教として扱われていると思います。覚り・悟りにむかう実践(修行、儀礼・・・)が仏教ではないでしょうか。
さらに、仏教は、釈迦・釈尊つまり人間が作った神を前提にしない宗教です。
そのため、西洋の一神教を基準にすると、宗教らしく見えにくいことがあると思います。
前回記事に重ねて表現するなら、仏教は、唯一神、神中心ではなく、実践をともなう哲学的宗教でしょうか。コジツケではないと思います。あえて言うと、哲学だけでは、仏教の信仰や実践の面が含まれなくなるとおもいます。
この短い文章を書きましたが、仏教僧(一応)である私も十分理解できていない点がありますから、この記事は皆様が考ええる材料の一つぐらいと考えてください。
参考記事
令和8年2026年9月26日「日本は多神教の国 仏教は多神教ですか?」https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/36638
令和8年2026年9月15日仏像と釈尊の関係は?https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/36487
令和8年2026年9月10日寺院 定義できない(講演)https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/36421
令和6年2024年1月7日仏教徒海外奨学基金ニュース 大学生奨学生からの手紙https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/21127
令和4年2022年12月27日渡辺京二氏が亡くなりました 宗教はピクニックであり市である(笑)とミニ庭園https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/15621
令和4年2022年10月26日今回の宗教問題について書いては?「宗教を娯楽にしなくても」「でもそれがいいかなと!」23回忌https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/12209


