以前の記事でタイトルを議論しました。令和8年2026年10月19日 お墓不要論と「千の風になって」https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/36890
記事中で「この部分は、心理学や精神医学の面から再度書きます」と書きました。
「お墓に故人や先祖が眠っているように感じられる」という感覚は、人間の脳、心理、感情の仕組み(精神分析学)から、自然で「合理的」な現象と説明できると思います。
精神分析や心理学では、以下のように考えていると思います。
大切な人(人生の中でかけがえのない人)を失ったとき、人間はその死を受け入れるために「哀悼の作業(グリーフワーク)」というプロセスをたどると言っています。ごめんなさい。フロイトの受け売りです(悲哀とメランコリー)。肉親、特に旦那様や奥様、など大切な存在がいなくなると、心は一朝一夕にはその現実を受け入れられないのです。
そのため、心の中に「大切存在の象徴(面影や記憶の依り代)」を必要とします。遺影は直接的です。お墓という場所(墓石と空間)は、残された人々が「故人との関係」を維持し、少しずつ死を受け止めていくための役割を果たしていると思います。もちろん、お仏壇やお位牌もです。
精神分析学では、関係の深かった人(つれあい、親など肉親)のイメージは、死後も消去されるのではなく、自身の「心の中に折りたたまれている」「深くしまい込まれている」と考えられると思います。
普段の生活では意識することはないですが、お墓という「静寂な空間」「木々のある自然のある場所」に身を置き、手を合わせるという行動により、意識の上に引き出されます。
また、葬儀の時に聴いた読経によりイメージを思い出します。つまり「心の中にいる親や肉親」と「お墓」が重なり「ここに眠っている」「近くで見守っている」という「なつかしさ」として立ち現れるのでしょう。突然に涙が出てくることもありますね。
以上はお墓のある寺の住職に都合のよい議論とは関係がないと思います。また、お金儲けのための議論でもありません。
それぞれの立場によりお考えは多様です。お家の中の子供、資産、伝統など様々です。
お墓の役割について、もう一度お考えいただけるとありがたいです。
仏教僧としては、以下を追加させてください。
お墓やお仏壇の前でお参りをします。当然、故人を追憶し昔の出来事を思い出します。
追善供養について「故人とのつながり(ご縁)を今の自分の生き方に生かすこと」という僧侶が多いです。「偲ぶこと、つまり故人や故人との出来事を、心の中で懐かしく思い慕うこと」は供養です。
「偲ぶことが供養となり、故人の生き方を受け継ぐことが追善となる」という考え方です。
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