一昨日(日曜日)は、母、想蓮院梵音光雅大姉の13回忌法要でした。お檀家の年回忌の追善供養法要と変わるところはありません。お経を読む坊さんが多い点だけは異なります。
私の母は大正7年西暦1918年に三郷市の延命院で生れました。4年後に実母つねが亡くなりました。昭和10年に越谷高等女学校を卒業し小学校正教員免状を取得。昭和12年1937年に父と結婚し、早婚です、15年に父とともに福性寺に異動しました。
戦時中の父の留守中、4年1月余を1人で福性寺の留守をしました。この間、1.米軍の無差別爆撃のたびに、ご本尊様を防空壕の奥に隠し、娘2人と入り口近くにいたこと、2.宗教収入(寺からの収入)がないにもかかわらず、寺を守ったこと、3.父の著書「批判悉曇学」をリヤカーで三郷市の延命院に運んだことなど、寺と父の学問的業績を守ったとよく話していました(以上は以前書きました)。
昭和30年には幼稚園助教諭資格。昭和38年から、堀船小・中学校で、合わせて4年間、PTA会長を務め、社会貢献しました。
一方では、周誉師の福性寺運営と学問の遂行を、よく助力しました。さらに、晩年まで、私の不十分な寺院運営を家内と共に手助けしてくれました。
内孫3人の男子の教育にも尽力しました。私の留学中も福性寺の留守をしました。
私の所属した研究所の講演会では、聞きに来たのはよいのですが、受付に「金一封」を持参して、公務員を困らせていました。「受け取れません」「イヤイヤ出したものですから」どうも50歳過ぎの部長職の「息子をよろしく」と言うことであったらしいです。
平成23年10月に帝京大学病院で亡くなりました。93歳でした。この時は「堀船のゴッドマザー(笑)が亡くなった」と何人もの町の人から言われました。ありがとうございました。
第13回忌にあたり、密葬儀と同様に福性寺から大学に通った坊さんの皆様(3人、母か家内の手作り料理を食べていました)、院代さん、私、副住職の6人による追善供養の読経により、故人の倍増法楽(法楽=仏様方に楽しんで頂くこと)を願いしました。
「日常と異なる体験」により、参加の皆様、特に私の孫たちは、頭がシャープになったと思います、多分。私?今さらなってもでしょうか(笑)中学生と高校生には「頭がさえてほしいです」。
「非日常体験」は、脳を活性化すると言われています。旅行の効果と同じですね。法要は旅行の効果の何倍かと思います。私が経や所作について説明を加えました。
令和4年2022年4月30日祖父母と叔父夫妻の墓参 「墓地整理」https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/12044
令和4年2022年4月12日ご開帳 真言宗豊山派彦倉延命院虚空蔵尊https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/11888
令和5年2023年8月15日福性寺の終戦の日https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/19438
令和元年2019年6月13日門前の延命地蔵菩薩のお家https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3658