「3人での葬儀」を書きました。喪主様と坊さん2人の3人でした。
令和6年2024年12月28日 喪主様、住職と院代で・・・お骨葬儀 病理解剖 https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/26327
同じころ「福性寺という船の重し(重石)」とも言うべきお檀家がなくなりました。とてもご高齢です。しかし、最後の最後まで墓参においでになりました。とても尊敬をしていました。
枕経のおりに、ご家族、お子様3人から「子供、孫、ひ孫から自慢のおじいさんであると言われていた」と聞きました。「ひ孫様!」からも・・・ご立派です。
喪主様家族から「お母様の時は400人近くの会葬者がありました。しかし、今回はあまりお知らせしないことにしました」とお聞きしました。
それでも多数です。会場に入りきりませんでした。
単なる仕事上のお付き合いの皆様よりも、故人の友人、ご家族やその延長線上の皆様ばかりです。たくさんの皆さんの面倒をみてきた故人です。
お通夜・葬儀で読む経は、いわゆる「お骨葬儀」と同じです。
「四智梵語」「諷誦文(by住職)」ご詠歌・和讃「追弔和讃(by院代)」「般若理趣経」を読みました。随時、説明しながらです。
ご詠歌は和歌と同じ五・七・五・七・七、和讃は五・七、七・五の繰り返しという人がいます。でも区別する必要はないです。「メロディーのついた日本語のお経」です。院代さんはとても上手です。
出棺の時は「ライオンズクラブの歌」です。よかったです。読経にこだわることはありません。「大きな声で歌ってください」とかってな注文をしました。
お通夜のあと、ふと見るとたくさんのスナップ写真がありました。会葬の皆様が写真にも写っている感じです。
ご本人や家族の行事の写真が多く、会葬者は写真の中の参加者となっています。
あとノギスとメジャーもありました。故人の仕事一筋の人生が見えます。故人の人生がわかるお品です。
令和6年2024年7月19日故人が用意した遺影 仏様になっても感謝 ネックレスはご子息夫人の手づくり https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/24020
令和5年2023年2月14日死んだ後の顔を他人に見てほしくないな お元気な時のお顔をご記憶下さい 自己融解とはtps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/16585
令和3年2021年1月28日「その時に使ってほしい写真を撮影してあります」https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/7816
令和2年2020年4月7日「あの人は面食いではないんです!」広域飯能斎場にてhttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/5819