真言宗豊山派白王山中台院福性寺真言宗豊山派白王山中台院福性寺
  • おばあさん、おじいさんとも歩きたい(陳情中)

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2017年1月28日

まだ、寒い日が続いています。皆様には、お元気にお過ごしでしょうか。

ご高齢の皆様は、暖かい環境でお過ごし下さい。

現在の福性寺境内には、咲いている花は、わずかに駐車場の紅梅1本、水仙、山茶花と椿です。見るべきお花はないです。春のお彼岸には、早咲きの桜やアンズも咲きますので、お墓参りにおいで下さい。

3年前の福性寺の健康長寿講演会(高橋龍太郎東京都健康長寿医療センター研究所元副所長)のお話で聴きました。お風呂場には、暖房設備があると身体によいことがわかっています。お風呂場の暖房は、血圧の大きな変動を避け、事故を防止することができるようです。

さて、3月20日(月曜日、春分の日)には、11時から春分彼岸会読経会が開かれます。お檀家の皆様に限らず、どなたでもご参加頂けます。どうかご参加ください。

冬の福性寺 樹木は冬枯れ状態です

冬の福性寺 多くの樹木は冬枯れ状態です

今年の花祭り(釈尊降誕会)は4月8日(土曜日)午前9時から午後3時まで本堂玄関を開きます。ご来寺頂き、お子様のつつがないご成長をご祈念下さい。

施餓鬼会は4月23日(日曜日)10時開始です。ようやく日曜日に施餓鬼会を開くことができます。お仕事などで、普段ご参加頂けない皆様にも、今回は、是非ともご出席下さい。ご夫婦お揃いでのご参加も歓迎します。健康長寿講演と大法要があります。

 


2017年1月21日

前回、江戸時代から関東大震災までの本堂をご紹介しました。

大正14年(1925年)頃から昭和37年(1962年)までの本堂

大正14年(1925年)頃から昭和37年(1962年)までの本堂

今回は大正14年(1925年)頃完成した仮本堂として建てられた建築をご紹介します。関東大震災後から昭和37年(1962年)までの本堂です。

太平洋戦争(大東亜戦争)中の米軍の爆撃により、堀船の町はほぼ灰燼に帰しました。しかし、この本堂はご本尊様のご加護により燃えませんでした。

太平洋戦争(大東亜戦争)前に、鉄筋コンクリート造りの本格的な本堂を建築する計画がありました。すでに資金の勧募も終わっていました。しかし、太平洋戦争の激化ために計画は中止となりました。戦後のインフレのために、勧募による資金は有効に使用できませんでした。

この本堂は米国産のヒノキ材で造られました。内部はコンクリートの床で、参列者は靴を履いたままイスに座りました。敗戦後、習字教室や子供会にも利用されていました。

現在の本堂内にある仏具の多くは、この仮本堂の中にあったものです。漆塗りの仏具は塗り直し、金箔は押しなおしました。その後、現在の鉄筋コンクリートの本堂に移しました。山号額は現在のものと同じです。

昭和32年(1957年)頃撮影。


2017年1月11日

古い時代の福性寺の絵が見つかりました。写真は明治時代の福性寺です。本堂は江戸時代に建てられました。明治時代は無住職の寺でした。大正6年に、上遠野照良師が住職として住むようになりました。しかし、その後も無住職の時代があり、貧しい寺でした。明治4年(1871年)の上知令関連の書類では、すでに江戸時代のいつごろ、この本堂が作られたのか不明とされています。寺の歴史は、わからないことが多いです。それでも、福性寺住職は、勝手に「歴史や言い伝えを作ってはいけない」と考えています。

本堂はこの時代でも高い盛土の上にあります。堀船の旧梶原堀之内村の本村(現在の堀船3丁目など)は、水害によく襲われました。このため、水害から本堂を守るために、江戸時代から続くお檀家(堀江家、石井家、小泉家、澤部家、大郷家など)のご先祖様たちが、額に汗して土を運び、土を盛り上げる奉仕により、本堂を高い盛土の上に建築したことが理解できます。それでも、明治43年(1910年)の水害では、本堂の床上浸水が記録されています(堀船郷土史平成増補版)。大正13年(1924年)に岩淵水門が完成し、荒川放水路への注水により、洪水は劇的に減少しました。本堂の屋根は茅葺きでした。関東大震災前に屋根を瓦葺きにしました。このためか、関東大震災でこの本堂は倒壊してしまいました。門は木製の簡易なもので冠木門と棟門の中間のような形です。

本堂に通じる中央参道は狭く、墓地がせまっています。墓地は生け垣により道と隔てられ、背の高い木が何本も見えます。また、小さなお墓も多数見えます。庫裡の右前には芭蕉の樹と、その前に釣瓶井戸(つるべいど)があります。現在の福性寺からは全く想像ができません。まさに諸行無常です。

この絵は100年以上前の明治36年に配布されました。このため、明治37年に移設された梶原塚の宝篋印塔は見えません。この絵は版画か印刷物です。何の目的のためにこの絵が作られたのかは不明です。

明治36年の福性寺

明治36年の福性寺(江戸時代から関東大震災まで)


2017年1月8日

元旦読経会にご参加頂きありがとうございました。
今年の元旦は、気温が上昇し素晴らしいお天気でした。午前10時から、住職と副住職により、ご本尊様へのお供物となる奠供(てんぐ、四智梵語讃)、表白(ご本尊様に対する出席者の希望の表明)、出席者全員により般若心経2回、光明真言7回を読み、住職と檀信徒総代様のご挨拶の後、仏讃歌「お誓い」(西洋音楽)を斉唱しました。お焼香後、お供物の配布をもって、11時に終わりました。ご参加の皆様は51人でした。どうか来年の元旦読経会にもご出席下さい。
次回の読経会は3月20日11時からの春分彼岸会読経会です。

お檀家・町会の皆様にお集まり頂きました

お檀家・町会の皆様にお集まり頂きました


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