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2019年11月10日

昨日(11月9日・土曜日)、4月23日の施餓鬼会「健康長寿講演」の演者でもあった東京都健康長寿医療センター研究所副所長である新開省二先生にご講演を頂きました。栄養に関するパンフレットを配布して頂きました。研究の成果が、「行政の支出の削減(要介護認定率の低下!)につながっている」という素晴らしい研究の成果を踏まえた「高齢者の栄養」に関する講演でした。

新開省二先生の講演

新開省二先生の講演 一流の学者の講演はなかなか聞くことができません

肉は毎日食べた方がいいとのお話を最初にお聞きしました。「生活機能」の維持に関する証拠のある講演でした。

健康長寿の秘訣は、1.仕事社会活動を活発に行う 2.健康に対する自己評価が高い 3.筋力が強い・バランス能力が高い・歩行速度が速いなどをあげられていました。また、血液検査の結果では1.アルブミン値が高い 2.コレステロール値が高めであるなどをあげていましたね。

「堀船郷土史を語る会主催講演会」は、北区飛鳥山博物館の学芸員である田中葉子先生の講演でした。

キリンビール王子工場・宝酒造王子工場・小山酒造(丸真正宗)についてのお話しでした。

田中葉子先生のスライドから

田中葉子先生のスライドから なつかしいキリンビールの落成式の写真です

昔からの多数の写真が紹介されました。キリンビールに関しましては、その前の下野紡績時代の写真や、関東大震災時の写真も見ることができました。

なつかしい写真であると同時に、私どもの知らなかった会社の内部やビール・焼酎・日本酒づくりのプロセスを写真で知ることができました。

「健康長寿講演会」は、堀船3丁目町会長であった山岸桂子様(ご信徒様・平成23年亡・私が通夜と葬儀を執行)がお檀家向けの施餓鬼会における健康長寿講演を町の人にも公開してほしいと何度もお聞きしていました。このため、開くようになりました。心が広くボランティア精神あふれる立派な会長様でした。

また、「堀船郷土史を語る会主催講演会」は、堀船に新たなお家が多数できてきました。地域の歴史を知って頂きたいという「語る会」会長様や幹事様のご意見で発足しました。

 


2019年11月8日

明日の「福性寺主催健康長寿講演会」と「堀船郷土史を語る会(堀江毅会長)主催講演会」の準備が終わりました(写真)。http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4470

本堂の準備が終了しました

本堂の準備が終了しました 60席以上用意致しました

語る会の幹事の田村重光氏が「堀船郷土史を語る会」の横断幕を持参してくれました(写真)。

「福性寺主催健康長寿講演会」は、参加費は「おさい銭(=喜捨・お布施)形式」と書きました。電話で「おさい銭形式とはなんですか?」とお問い合わせがありました。ご質問いただきありがとうございます。講演会入り口に「おさい銭箱」はありません。(笑)このため、無料と同じです。

田村重光氏

田村重光氏による「堀船郷土史を語る会」です 立派な書道家で住職はうらやましいです

「おさい銭」を納めたい方(志納者)は、本堂玄関にまわって、「おさい銭箱」に納めて下さい。50円か100円程度でしょうか。おさい銭(=喜捨・布施)は、「仏教徒海外奨学基金」となり、インド・スリランカ・在インドチベット人の子供や学僧の奨学基金となります。

現在までは、参加費は無料でした。しかし、お檀家(本当なお寺の持ち主です)から「それはおかしい!」とのご意見がありました。それで、一応「おさい銭形式」と書きました。

「堀船郷土史を語る会」主催講演会は、参加費は無料です。紛らわしくて申し訳ありませんでした。「二つの講演宴会=同講演会」を通じて、参加費は無料とお考え頂いて有難いです。

仏教徒海外奨学基金に関しては、本ホームページのカバーページの仏教徒海外奨学基金をご覧下さい。また、下記のパーマネントリンクを見て下さい。

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/2902

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/1793


2019年11月5日

梶原塚(梶原政景1548~1615年太田道灌の子孫の屋敷・砦の跡「福性寺の歴史第7版、10ページ」の中に、詳しい刻銘のある供養塔が2基があります。両者とも文政9年(1826年)の建立です。「如意輪観世音像」(右・写真)と「執錫杖大師像」(左)です。

深川不動院の木食(もくじき)賢明師が願主です。梶原塚にあった眞龍寺の住職でもあったようです。賢明師は梶原塚の宝篋印塔(ほうきょういんとう)の再建時(天保2年・1831年)の開眼導師もしています。90年後(=大正10年・1921年)に亡くなった上東野昭良師(父の叔父)から、父は賢明師について何も聞いていません。90年間の歳月により、亡くなった人についての記憶は、この世界からなくなるようです。1821年から幕末、明治時代から大正6年・1917年までは、福性寺は無住(職)寺でした。

明治28年・1904年に梶原塚は福性寺に移されました。梶原塚は現在の「堀船ポンプ所」(http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4538)にありました。

石塔の下の台座に刻銘があります。地面に顔をつけるようにしないと読めません。私には読むことができません(能力がない!)。50年以上前に、先代住職周誉師(私の父です)が読んだ記録が出てきました。現在では、風化のために読むことのできない字があります。

以下、黒字は石碑にある文章です(周誉師記録)。青字は先代の周誉師の解説。緑字は私の説明です。 

梶原塚 如意輪観世音

梶原塚 如意輪観世音 台座の文字はほとんど読むことができません

梶原塚供養塔右 如意輪観世音像石塔の刻銘

算用数字は刻銘の行目を表します。

1 紀州那智山本尊此地  奉彩者也(紀州那智山の本尊をこの地に)(奉彩:斎?するものなり:つつしんで祀る)

 南無大慈大悲六道能化広大無辺の慈悲の地蔵菩薩に帰依致します)

 引導本尊地蔵菩薩(さとり導く地蔵菩薩)

 南無大慈大悲如意  輪観音大菩薩(如意輪観音に帰依致します)

 一地両尊建立意趣者(一地に両尊を建立する意趣とは)

 国主大将軍武士並  梶原平三景時一家諸尊霊 

10 當 出離 11 生死 為頓証菩提也 (まさに生死を離れ悟り:解脱を得る)(頓証菩提:速やかな悟りの為なり)

一、この石塔は如意輪観音の像を陽刻せり。

二、建立当時は、すでに梶原墳は鎌倉時代の源頼朝の郎党梶原景時と混同誤認されていた。大師、如意輪観世音の両石塔は文政9年(1826年)の建立なれば、鎌倉時代とは凡そ五百年以上後代のものなり。

以下に梶原塚に関する記事があります。

〇「堀船郷土史平成増補版」(平成28年刊)の24‐26ページ。

〇明治36年(1903年)の福性寺2017年1月11日http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/352

〇梶原堀之内村の安政時代古地図(国立国会図書館所蔵)2017年10月26日  http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/772

次回以降に、執錫杖大師像について書きます。


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