メールで質問をありがとうございます。お返事まで時間がかかってしまいました。申し訳ございません。
「利他精神を持つ先祖の眠る地とはどういうことでしょうか?」
4月11日の記事に以下を書きました。
令和8年2026年4月11日励みになります!https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/34022
この記事(以下の茶色文字部分)に対する質問です。これは講演の最後に使用するスライドのままです。
福性寺はかけがえのない・・・存在である。理由は1~3です。一部省略。
1.江戸時代以前からのご先祖様を含む皆様の「利他精神を持つ先祖の眠る地」です。
2.梶原堀之内村(堀船1‐3丁目) の歴史的文物の残る唯一の地「ミニ歴史博物館」です。
3.地域の緑地 「美しい景観」があります。たくさんの通行の皆様が写真を撮り、癒しになると感謝して頂きました。
以上の1~3は、それぞれ証拠があります。
2については、「お寺には歴史があります」との過去記事の中で何度か説明しました。
3「美しい景観」については4月11日の記事で説明しました。
1についてのご質問は、単に「ご先祖の眠る地」ではなくて、なぜ「利他精神を持つ先祖の眠る地」なのか?本当に証拠はあるのか?(笑)でしょうか?
最初に=お答えする前に、私のブログを精読いただき誠にありがとうございます。
明和七年1770年に「六阿弥陀一番目道」地蔵尊を建立した石井與市右衛門様などをさしています。石塔には与市右衛門とあります。
今回のご質問をいただいた後、與市右衛門様のご子孫に質問し、いただいた知識をもとに書きます。「與市右衛門様は五代目です」とお聞きしました。
與市右衛門様は自らの浄財により、江戸時代から戦前まで盛んであった「江戸六阿弥陀参り」の巡拝者のために、道標となるお地蔵様を建立しています。田端の与楽寺から豊島の西福寺に至る道です。戦前は彼岸のお中日前に2万人が巡拝したとの記録があります。
この道の途中の福性寺の門前に「六阿弥陀一番目道」地蔵尊はあります。道標を作ることは、今でいう社会・地域貢献でしょうか。道標として巡拝する人のためにお地蔵様を作り、子孫の安泰を祈念しています。地蔵尊は道祖神であり子供の守り神でもあります。たくさんの巡拝者が足を止め手を合わせて、道案内の書かれた地蔵尊に感謝して、合掌して拝んだと思います。
また、「八代目の與七郎様は、梶原堀之内村の名主を務めました。幕府普請方に村の絵図を安政2年1855年に提出しています。提出は、安政江戸大地震(安政2年10月2日1855年11月11日、死者5千人近く)のあとの12月ですので、さぞ苦労したのではないかと推察しています」とご子孫からお聞きしました。社会貢献です。
ご当代様は十三代目です。なお、ご子孫の皆様も社会で立派に役割を果たしています。
以上がただ単に「ご先祖様の眠る地である」とするばかりではなく「利他精神を持つ・・・」とした理由です。よろしいでしょうか?ポジショントーク(笑)ではありません。
ご質問者様に申し上げます。ご住所をいただくことができましたら「福性寺の歴史第十版」送ります。
生成AIを使用せずに書きました。
六阿弥陀一番目道地蔵尊の写真があります
令和元年2019年6月2日東洋紡績社員の施主・お檀家 老人・高齢者医療の目的https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3594
令和元年2019年5月29日延命地蔵様 六阿弥陀一番目道地蔵菩薩 寺には歴史があります 石井与市右□□様 https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3576
令和5年2023年1月22日板碑(いたび)型庚申塔(庚申塔3)https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/16115
参考記事
令和8年2026年3月15日 ご本尊四百年記念 先祖がつなぐ「利他」の心https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/33384
令和6年2024年12月28日喪主様、住職と院代で(直葬=)お骨葬儀 病理解剖ttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/26162
平成30年2018年12月23日原因不明の死「医学葬」すなわち「利他」 https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/2216




