「史跡 梶原の渡し」について、たくさんの記事を書き、さらに冊子を作りました。。
Wikipediaの「隅田川の渡し」の項に「梶原の渡し」の別名として「船宮の渡し(ふなみやのわたし)」と書かれていることに気づきました。私は聞いたことがありません。
実際に、乗船経験のある北区・足立区の住民の皆様や、当事者である船頭さんの関係の皆様からも「聞いたことがない」とおっしゃっています。現場の口承や一次資料に「船宮の渡し」という呼称が存在するのでしょうか。ご存知の皆様は教えてください。
公的な歴史資料としての根拠を欠いた記述がネット上で一人歩きしているケースでしょうか?「梶原の渡し」が唯一かつ正確な名称であると捉えて差し支えないと思います。
「船宮(ふなみや)」という名称の由来を考えてみました。
1.「船宮」という別名は、当時の対岸(足立区側)の地名である「宮城(みやぎ)」と、渡船の「船」を組み合わせた(あるいは宮城へ渡る船、宮城村の船着場を指した)ことに由来するとか?
2.また、両岸の地名からの合成(造語・通称の誤解) 渡しの接続先である「堀船(ほりふね)」の「船」と、対岸の「宮城(みやぎ)」の「宮」を組み合わせて、「船宮(ふなみや)」という字を後から解説者(編集者)が便宜上あてはめた、あるいは個人的な俗称として付け加えた?明治41年の開設当時、北区側の地名が「梶原堀之内村」(後に船方村と合併して昭和7年に「堀船」)であり、渡しの申請者も梶原堀之内の地主の方(檀家様)であったという史実を踏まえると、「船(堀船)+宮(宮城)」から「船宮」という名称が生まれたという説そのものが、時代考証として成り立たないことが明確になります。
3.東京府知事宛ての「渡船営業願」(明治42年5月)には、王子町大字堀之内と江北村大字宮城を結ぶ渡船となっています。
4.足立区小台と荒川区西尾久の間には、現在の小台橋のあたりに「小台の渡し」がありました。
5.足立区宮城(か小台)と堀船になる前の船方(現在の堀船4丁目)との間に農民が運営する臨時の渡しがあったと聞いたことがあります。これが「船宮の渡し」と呼ばれていた可能性があります。
重ねて「船宮の渡し」に関する一次資料をお持ちの皆様は教えてください。
参考記事
令和5年2023年3月19日梶原の渡船場跡 お彼岸二日目 https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/17107
令和7年2025年2月9日梶原の渡し(1)https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/26985
令和7年2025年2月12日梶原の渡し(2)時代の背景https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/27045
Google Mapの梶原の渡し=「梶原の渡船場跡」の位置は間違っています(20260911アクセス済み)令和7年2025年2月26日梶原の渡し(11)現在の渡し跡 右岸https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/27282
令和7年2025年2月28日梶原の渡し(12)現在の渡し跡 左岸https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/27284



