福性寺の客殿玄関から2車線のキリン通りまで125mあります。直線距離です。
昨日の朝、気がつきました。客殿玄関からキリン通りを「見通す」ことができるようになりました。福性寺の南の白山神社の社務所を更地にしたからです。
社務所は昭和3年にはありました。社務所ができるまでは、だいぶ遠くから福性寺が見えたことになります。
また、明治42年の地図(村上正一氏著.北区古地図散歩2021年10月15日フォトパブリッシング刊p139)を見ると、福性寺の本堂前から梶原銀座商店街(鎌倉街道の一部)まで、ほとんど建物はありません。現在の都電梶原停車場から寺は見えたと思われます。
写真(福性寺所蔵)の裏書「白山神社社務所 昭和三年二月十九日 白山神社昇格記念」現在は更地となりました
地方に出かけると、町や村の中心に寺が田んぼに囲まれてあり、どこからも寺を見ることができる風景と同様であったと思われます。
お寺は、「檀家様のご遺骨のある場所」ではなくて「ご先祖様に檀家様がお参りをして安心する場所」また「檀家様が人生の最終にお帰りになる場所」と考えています。何回か書いたことがあります。以下の記事にも書いたことがあります。
平成28年2016年4月8日 大施餓鬼会 平成28年4月23日(土曜日)ttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/25
神社の境内地は広々として、なかなかよい雰囲気と思います。キリン通りからも見通しがよいです。よく見えます。
ところで、仏教の世界で「見通す力」が「神通力(じんずうりき)」と呼ばれていることは、よく知られている通りです。
しかし、釈尊が備えていたその力は、単なる未来予知や予言のようなものとは異なると考えています。それは、見聞して得た知識や情報を理解して深く洞察し、言葉として整理する力でしょうか。物事の本質や因果関係、そして人々の心の機微を理解する。そうした圧倒的な「理解力」こそが、釈尊が持っていた「見通す力」の正体ではないかと考えています。
かってな理解を書くな!でしょうか。
令和7年2025年11月30日空き地のまま 神社に本尊様? https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/32093
令和7年2025年11月18日落ち葉 見通すことができるhttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/31873
令和5年2023年8月15日福性寺の終戦の日https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/19438
令和2年2020年1月6日山門右の塀の完成 白山神社別当ttps://fukushoji-horifune.net/blog/archives/5091
平成29年2017年10月26日梶原堀之内村の安政時代古地図(国立国会図書館所蔵)https://fukushoji-horifune.net/blog/archives/772




