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2019年11月5日

梶原塚(墳)供養塔の「如意輪観世音像」 小さな歴史

梶原塚(梶原政景1548~1615年太田道灌の子孫の屋敷・砦の跡「福性寺の歴史第7版、10ページ」の中に、詳しい刻銘のある供養塔が2基があります。両者とも文政9年(1826年)の建立です。「如意輪観世音像」(右・写真)と「執錫杖大師像」(左)です。

深川不動院の木食(もくじき)賢明師が願主です。梶原塚にあった眞龍寺の住職でもあったようです。賢明師は梶原塚の宝篋印塔(ほうきょういんとう)の再建時(天保2年・1831年)の開眼導師もしています。90年後(=大正10年・1921年)に亡くなった上東野昭良師(父の叔父)から、父は賢明師について何も聞いていません。90年間の歳月により、亡くなった人についての記憶は、この世界からなくなるようです。1821年から幕末、明治時代から大正6年・1917年までは、福性寺は無住(職)寺でした。

明治28年・1904年に梶原塚は福性寺に移されました。梶原塚は現在の「堀船ポンプ所」(http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4538)にありました。

石塔の下の台座に刻銘があります。地面に顔をつけるようにしないと読めません。私には読むことができません(能力がない!)。50年以上前に、先代住職周誉師(私の父です)が読んだ記録が出てきました。現在では、風化のために読むことのできない字があります。

以下、黒字は石碑にある文章です(周誉師記録)。青字は先代の周誉師の解説。緑字は私の説明です。 

梶原塚 如意輪観世音

梶原塚 如意輪観世音 台座の文字はほとんど読むことができません

梶原塚供養塔右 如意輪観世音像石塔の刻銘

算用数字は刻銘の行目を表します。

1 紀州那智山本尊此地  奉彩者也(紀州那智山の本尊をこの地に)(奉彩:斎?するものなり:つつしんで祀る)

 南無大慈大悲六道能化広大無辺の慈悲の地蔵菩薩に帰依致します)

 引導本尊地蔵菩薩(さとり導く地蔵菩薩)

 南無大慈大悲如意  輪観音大菩薩(如意輪観音に帰依致します)

 一地両尊建立意趣者(一地に両尊を建立する意趣とは)

 国主大将軍武士並  梶原平三景時一家諸尊霊 

10 當 出離 11 生死 為頓証菩提也 (まさに生死を離れ悟り:解脱を得る)(頓証菩提:速やかな悟りの為なり)

一、この石塔は如意輪観音の像を陽刻せり。

二、建立当時は、すでに梶原墳は鎌倉時代の源頼朝の郎党梶原景時と混同誤認されていた。大師、如意輪観世音の両石塔は文政9年(1826年)の建立なれば、鎌倉時代とは凡そ五百年以上後代のものなり。

以下に梶原塚に関する記事があります。

〇「堀船郷土史平成増補版」(平成28年刊)の24‐26ページ。

〇明治36年(1903年)の福性寺2017年1月11日http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/352

〇梶原堀之内村の安政時代古地図(国立国会図書館所蔵)2017年10月26日  http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/772

次回以降に、執錫杖大師像について書きます。


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