真言宗豊山派白王山中台院福性寺真言宗豊山派白王山中台院福性寺
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2020年1月1日

檀信徒・町会の皆様には、福性寺元旦読経会にご参加頂き誠に有難うございました。心から感謝致します。

今年も若い皆様が多かったですね。また、お檀家以外の皆様も多いです。ご参加の皆様は去年よりも多かったです。住職は大喜びでした。

令和2年元旦読経会 仏教寺院らしい冷静な元旦の朝

令和2年元旦読経会 仏教寺院らしい冷静・平安な元旦の朝 午前10時に開始し11時に散会しました

今回は、「壇前普礼真言」について説明をしました。行事・法要の冒頭、ご本尊様に対する最初のご挨拶の時に、となえる真言です。両手の甲(手掌・手のひら✋は上)・両膝・額を地(福性寺では畳)につけます。現代僧侶の発音は「オン サラバ タタギャタ ハナマンナ ノウキャロミ」です。大胆な意訳では、「大々歓喜・感動する!我いま、すべての御仏の御足をわが手に頂かん!」サンスクリット学者であった先代住職は「唵、吾れ一切如来の拜足敬禮を爲し奉る」と著書(下記)の中で翻訳(直訳)しています(1)

「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」は、2回音読しました。「色即是空」と「解決困難な四つ(四苦)」について解説しました(2)。また「回向の文(願以此功徳・・・)」についても解説しました。

大郷道敏総代様のご挨拶のあと、仏讃歌(西洋音楽)を斉唱しました。お焼香後散会しました。大郷総代様には、毎回ご出席頂き心から感謝致します。

仏教寺院らしい冷静な元旦の朝・クールな朝となりました。

 

(1)田久保周誉著「真言陀羅尼蔵の解説」昭和35年・1960年初版発行、昭和54年・1974年校訂増補3版発行 真言宗豊山派宗務所刊(東京)56ページ下段 真言・陀羅尼の解説書・翻訳集として、嚆矢となる著書です。真言宗などで常用の全ての真言・陀羅尼が解説されています。仏教サンスクリット(梵語)学者ならではの翻訳集と評され、以後の解説書に大きな影響を与えています。

(2)以下の記事に般若心経の「ギャーティ句」に関する解説があります。平成31年・2019年1月1日http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/2312


2019年12月19日

境内にある梶原塚供養塔の「如意輪観世音」について書きました。福性寺に梶原塚(墳)が移設されていることはよく知られています(明治37年・1904年)。都電の電停「梶原」や、江戸時代の「梶原堀之内村」は、この梶原塚にちなんでいます。以下前回の記事です。

令和元年・2019年11月5日 「梶原塚(墳)供養塔の如意輪観世音像 小さな歴史」 http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4632

如意輪観世音像左側には、お大師様の執錫杖像(執錫杖大師)があります。

以下は先代の周誉師が読み取ったメモです(黒字)。算用数字は刻銘の行目を表します。カッコ内は私の説明です(緑字)。青字は周誉師の解説です。

「弘法大師執錫杖像石塔の刻銘」

大師執錫杖像

梶原塚 大師執錫杖像 かなり風化が進んできています  台座に刻銘(紀州高野山往生院・・・)があります

1 紀州高野山 2 往生院谷四十九□(□は院か?)

3.4 延命寺本尊 弘法大師入定 承和二年三月

5 彫刻尊躰此地 奉(尊躰を彫刻してこの地に)6 彩者也 (奉彩:斎?するものなり・つつしんで祀る)

7 文政九年三月二十一日(1826年、三月二十一日は大師の入定日)

8 両尊(如意輪観世音像と弘法大師執錫杖像)建立 願主 賢明

9.10.11 武州国豊嶋郡 梶原堀之内村 梶原墳 眞龍寺(かって梶原塚にあった寺)

周誉師の解説があります。

一、大師像の頭上に梵字真言(地蔵尊真言)の刻銘あり(地蔵尊真言は、以前、記事を書きました。令和元年・2019年10月22日 http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4560 現在も真言は読むことができます)

二、此の石刻字は摩滅甚だしく、朝日の陽光照射する前七・八時頃(春五月にて)でなければ明らかに見えない。

三、銘記の文政九年は1826年にして、三月二十一日は大師の入定日なり。

なお、すでに二つの石塔の表面は、写真のように風化して、表面が剥がれてきています。今後は刻銘を読むことができなくなりそうです。父が読んだ50年前にも読むことができない字(□)がすでにあります。

約200年前に建立された石像の仏様です。しかし、この像や建立者である木食賢明師について、父や私は、お檀家からお聞きしたことがありません。また、95年後(=大正10年・1921年)に亡くなった上東野昭良師(父の叔父)から、父は賢明師について何も聞いていません。

賢明師はどのような方であったのでしょうか?高野山からお大師様を奉斎し尊像を造立した真言行者!江戸の町から離れた梶原堀之内村に一人の熱心な真言行者がいたことはわかります。ちなみに本郷「かねやすビル」(川柳「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」)から福性寺まで6Km、徒歩で1時間半弱でしょうか。

「郷土史」や「庶民史」はすぐに忘れ去られてしまうようです。今後も福性寺では、旧梶原堀之内村・旧船方村や堀船の歴史、また福性寺自体の歴史を記録していこうと考えています。さいわい、今後も「堀船郷土史を語る会」による研究会活動が続けられ、郷土史の発刊も続けられ(「堀船郷土史平成増補版」の続編)、堀船の町の皆様のご支援もあります。誠に有難いです。

今回の記事は「福性寺の歴史第8版」に掲載予定です。

 


2019年12月8日

福性寺の涅槃像です

福性寺の涅槃像です 釈尊の体格はとても立派です 腕も太いですね 成道会のためにユリをお供えしました ユリは西洋のお花と誤解されていますが広く日本にも野生していますね シーボルトが持ち帰った日本のユリがヨーロッパで大流行したことががあります オランダで国際病理学会議(IAP)が開かれたとき(2002)Robin Cooke教授(オーストラリアAP)の案内でライデンを訪問し日本博物館シーボルトハウス・ライデン大学を見学して知りました Cooke教授はシーボルトと日本の関係について詳しかったです 私よりもです

今日は釈尊(お釈迦様・ブッダ)が悟りを開いた日ですね!涅槃仏をご覧下さい。

「成道会」については、前回記事に書きました。令和元年・2019年12月1日  http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4832

ところで、お通夜の前に、できる範囲ですが、枕経(まくらぎょう)に出かけています。亡くなった直後のことも多いです。ご遺体の安置されたお檀家や葬儀社の冷蔵庫の前でお経を読みます。また、病院の霊安室で読んだこともあります。ご家族の少ない故人とは、葬儀社での枕経のために寝台車で病院から葬儀社にご遺体と一緒に赴いたこともあります。

この時、ご遺族の許可を得て、ご遺体の上腕(や前腕)を着物の上から触らせて頂きます。まだ、お棺に安置する前です。温かいこともあります。寺から遠い葬儀場では、葬儀の終了後、お棺を開いてご遺族がお花入れをするときに触らせて頂くことがあります。その時には、腕はとても冷たいです。故人の死を実感しますね。

病みつかれてしまった腕や、お年のために細くなってしまった腕があります。しかし、もったいないほどの太さの腕にもであいます。太い腕は、突然に亡くなった方です。生活習慣など「ちょっとした注意」でもっともっと長生きができたのかな!と、とても残念に思うことがあります。実は、「ちょっとした注意」のために「福性寺健康長寿講演会」を開いてきました。

亡くなった後でも、故人と住職をつなぐ「絆・きづな・きずな」があります。葬儀で使用した白木のお位牌(仮位牌)です。49日忌法要から1周忌まで福性寺本堂に安置します。毎朝、読経(朝の勤行)前の献茶の時に、故人を思い出す「よすが」としています。

また、年回忌法要では、ご参加のご遺族の皆様のご繁栄、ご幸福をお願いします。寺の毎朝の読経でも、1日のお檀家の皆様のご無事を祈念します。

 

 


2019年12月1日

もうすぐ、成道会ですね!

「釈尊が悟りを開かれた菩提樹を見たいですね」「インドやスリランカに出かけてその菩提樹を見たいですね」と、何度もお聞きしました。

2500年まえ、釈尊(お釈迦様・ブッダ)が35歳のとき、断食を含む苦行を離れ、尼連禅河で沐浴のあと、スジャータによる牛乳の粥の布施をうけます。ブッダガヤの菩提樹の木陰に、釈尊は座ります。陽ざしを避けて瞑想し、さとりを開かれました。四諦八正道です!成道です。この時の樹が「ゴータマ・ブッダの菩提樹」です。「釈尊の菩提樹」です。

菩提樹の葉

「ゴータマ・ブッダ 釈尊の菩提樹」の葉 窪田成円氏から頂戴しました(説明書付きです) 差し上げましたら食べてしまった人!がいます 健康に問題はなかったようですが食べ物ではない(苦笑!)ので食べないで下さい

お座りになっていた背後の菩提樹の枝をスリランカに移植したのは、アショカ王の王女サンガミッタ尼です(紀元前288年)。この挿し木(さしき)は、その後2300年も生き続け、現在もアヌラーダプラ市にあります。「スリー・マハーボーディ(聖なる・大菩提=さとり樹)」と呼ばれています。挿し木ですから、釈尊に木陰をつくった菩提樹とDNAは同じです。

この樹のわけ木をインターネット販売で日本でも買うことができるそうです。しかし、温室以外では、なかなか育ちません。菩提樹はサンスクリット語では「ピッパラ」で、別に学名もあります。インドで広く分布している樹です。

写真の葉は、サンガラタナ師(「カテゴリ」の「仏教徒海外奨学基金」をご覧下さい)経由で窪田成円氏(国際梵字仏協会 甲斐市竜王新町)から頂戴しました。「ゴータマ・ブッダの菩提樹」の葉です。説明書と葉を10枚ほど頂きましたので、お檀家に差し上げました。

テーラワーダ仏教(南伝仏教)の国では、ウェーサーカ(ウエサカ)祭として、降誕会、成道会、涅槃会(三大仏事)は同時に行っています。

以下に「三大仏事」の過去記事があります。再訪して頂けましたら有難いです。

平成29年・2017年12月9日 「成道会 真珠湾奇襲」

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/866

平成30年・2018年4月1日 「今年の花祭り(釈尊誕生)」

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/1133

平成31年・2019年2月11日「涅槃会2月15日 ウェーサーカ(ウエサカ)祭」

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/2655

平成31年・2019年4月7日「花御堂(はなみどう)」

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3088

 


2019年11月5日

梶原塚(梶原政景1548~1615年太田道灌の子孫の屋敷・砦の跡「福性寺の歴史第7版、10ページ」の中に、詳しい刻銘のある供養塔が2基があります。両者とも文政9年(1826年)の建立です。「如意輪観世音像」(右・写真)と「執錫杖大師像」(左)です。

深川不動院の木食(もくじき)賢明師が願主です。梶原塚にあった眞龍寺の住職でもあったようです。賢明師は梶原塚の宝篋印塔(ほうきょういんとう)の再建時(天保2年・1831年)の開眼導師もしています。90年後(=大正10年・1921年)に亡くなった上東野昭良師(父の叔父)から、父は賢明師について何も聞いていません。90年間の歳月により、亡くなった人についての記憶は、この世界からなくなるようです。1821年から幕末、明治時代から大正6年・1917年までは、福性寺は無住(職)寺でした。

明治28年・1904年に梶原塚は福性寺に移されました。梶原塚は現在の「堀船ポンプ所」(http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4538)にありました。

石塔の下の台座に刻銘があります。地面に顔をつけるようにしないと読めません。私には読むことができません(能力がない!)。50年以上前に、先代住職周誉師(私の父です)が読んだ記録が出てきました。現在では、風化のために読むことのできない字があります。

以下、黒字は石碑にある文章です(周誉師記録)。青字は先代の周誉師の解説。緑字は私の説明です。 

梶原塚 如意輪観世音

梶原塚 如意輪観世音 台座の文字はほとんど読むことができません

梶原塚供養塔右 如意輪観世音像石塔の刻銘

算用数字は刻銘の行目を表します。

1 紀州那智山本尊此地  奉彩者也(紀州那智山の本尊をこの地に)(奉彩:斎?するものなり:つつしんで祀る)

 南無大慈大悲六道能化広大無辺の慈悲の地蔵菩薩に帰依致します)

 引導本尊地蔵菩薩(さとり導く地蔵菩薩)

 南無大慈大悲如意  輪観音大菩薩(如意輪観音に帰依致します)

 一地両尊建立意趣者(一地に両尊を建立する意趣とは)

 国主大将軍武士並  梶原平三景時一家諸尊霊 

10 當 出離 11 生死 為頓証菩提也 (まさに生死を離れ悟り:解脱を得る)(頓証菩提:速やかな悟りの為なり)

一、この石塔は如意輪観音の像を陽刻せり。

二、建立当時は、すでに梶原墳は鎌倉時代の源頼朝の郎党梶原景時と混同誤認されていた。大師、如意輪観世音の両石塔は文政9年(1826年)の建立なれば、鎌倉時代とは凡そ五百年以上後代のものなり。

以下に梶原塚に関する記事があります。

〇「堀船郷土史平成増補版」(平成28年刊)の24‐26ページ。

〇明治36年(1903年)の福性寺2017年1月11日http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/352

〇梶原堀之内村の安政時代古地図(国立国会図書館所蔵)2017年10月26日  http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/772

次回以降に、執錫杖大師像について書きます。


2019年10月31日

どこかの老人ホームに、毎週出かけます。お檀家におあいするためです。

ご存知の通り、また統計によりますと、通常、日本人は毎日入浴している人が80%弱で、そのつど洗髪をしていると言われています。

しかし、「お年寄りは週2回の入浴でよい」と私は「十分に考えずに」「なんのデータもなく」断定的に思ってきました。科学者らしくなかったです。また、思惟(仏教の世界では「しゅい」)しなかった?!「八正道」の正思惟(釈尊・お釈迦様・ブッダのように考える)しなかったのです。介護に関する法律では、週に2回(以上)の入浴が決められています。

自分たちは、当然のように毎日!入浴しています。入浴後は軽い運動をした感じです。大変、気分がよいです。釈尊も尼連禅河(にれんぜんが)で沐浴(頭と体を洗った)したあとに悟りを得て、カクッター川で沐浴したあと、涅槃を迎えましたね。

認知症の患者さんは、入浴や食事をしたことをお忘れになってしまうことがあることから、お年寄りの入浴回数を考え直す機会となりました。

老人ホームの午後 毎日午前中10時ごろから体操 があることが普通です 午後2時ごろから演奏・演芸・趣味の会や体操があることが多いです

老人ホームの午後 毎日午前中10時ごろから体操 があることが普通です 午後2時ごろから演奏・演芸・趣味の会や体操があることが多いです この日の津軽三味線の演奏は素晴らしかったです 私も帰ることを忘れるほどでした 聴かせて頂きました

もちろん、入浴回数が多ければ多いほどよいとは、ならないと思います。お年寄りのお身体の状態・個人差がありますので。また、入浴回数と健康や免疫力に関するデータを知りません。しかし、週2回は少ないかな?と考えるようになりました。それは、高齢者の皆さんも、体力の許す範囲で、お風呂に入って、入浴後の爽快感・幸福感をもっともっと味わってほしいからです。入浴に関しては、2回過去の「福性寺健康長寿講演会」でお話を聴いています。

ある老人ホームでは、週に3回以上の入浴を宣伝しているホームもあります。もちろん、人手とお金の問題があります。私の昵懇の老人ホームの施設長さんは、有料で入浴回数を増やしたいといつもお話し頂いています。お年寄りの立場に立っています。本当に立派です。

追加の入浴の料金は当然です。さらに、入浴回数を増やすことが、お年寄りの健康の増進や、老人ホームの人気につながると思いました。

ところで、両親の財産形成に何の貢献もないのですが、お年寄りのお金をお年寄りのために使うことに反対する子供がいますね。間違っています。これは「老人虐待」です。

皆様はどのようにかんがえますか?以下にお風呂に関する記事があります。

平成29年・2017年11月17日「晩秋 インフルエンザ予防のために」 http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/823

平成29年・2017年1月28日「春のお彼岸が待ち遠しいですね」 http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/390


2019年10月22日

「わかるように説明して下さい」ですかー?!ご質問を有難うございました。インターネットからの情報では、納得できなかったのでしょうか。

確かに、以下のように何度も地蔵菩薩とご真言についての記事を書いてきました。

〇令和元年2019年10月4日「梶原銀座地蔵尊まつり ぜひともお出かけ下さい」

 http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4417

〇令和元年2019年5月29日「延命地蔵様 六阿弥陀一番目道地蔵菩薩」

 http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3576

〇令和元年2019年5月25日「To comfort always」

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3547

〇平成30年2018年5月3日「住職もお墓参り」

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/1262

住職にとって、不得意!な(苦笑)分野の質問を有難うございました。真言とはインドの古い言葉(梵語・悉曇)で書かれた、仏様の秘密の言葉です。寺の住職が、ボソボソと小声で唱えること(微音)もありますし、大きな声で唱えることもあります。

周誉師による地蔵菩薩真言 見事に美しい梵字を見て下さい 5・6世紀頃の北インド流行の書体を基本としています 田久保周誉著・金山正好補筆「梵字悉曇」(平川出版社)より

周誉師による「地蔵菩薩真言」 見事に美しい梵字を見て下さい 5・6世紀頃の北インド流行の書体を基本としています 田久保周誉著・金山正好補筆「梵字悉曇」(平川出版社)より

地蔵菩薩真言の現代僧侶の発音は「オンカカカビサンマエイソワカ」・「オンカカカビスミエイソワカ」です

令和元年・2019年10月4日の記事「梶原銀座地蔵尊まつり」にありますように、このご真言を唱えながら皆様に配布用のお守りを加持しました。

サンスクリット学者であった先代住職によれば、地蔵菩薩は「大地が備えている無限の力を象徴した菩薩」と考えられます。もちろん、仏陀の分(流)身です。

以下に、この真言を意訳します。思い切った意訳では、「ウァー!オー!皆、大いに称賛し大々歓喜する。能力無限の菩薩よ。祈念するところを成就したまえ」ではいかがでしょうか。カカカ(ハハハ)は、歓喜の擬音語と考えられています。地蔵菩薩はこのように笑うのでしょうか?なお、歓喜(かんぎ)は、仏法を聞き喜ぶですね。でも、単に喜びほめたたえるでしょうか?

以上は、田久保周誉著・金山正好補筆「梵字悉曇」(ぼんじ・しったん、平川出版社)などを参考にしました。この本はよく売れているようで、何度か増刷されています。また、「アマゾン」の書評でも、裏付けとなる学問のレベルの高さからとても好評です。

この真言は、三十五日忌法要で読みます。また、葬儀後の初七日忌法要でも、初七日、二七日忌、三七日忌、四七日忌の真言とあせて読むことがあります。

皆様も唱えてみてください。「オンカカカビサンマエイソワカ」力が湧きませんか?また、力が沸騰するように、沸きませんか?


2019年10月13日

 

透水槽(赤矢印)

令和元年・2019年10月12日(昨日)夕方 雨水浸透マス赤矢印)のおかげで水はけがよいです お墓の前や参道には御影石が敷かれています ひどい雨と風のためにご法事が二つとも延期となりました

台風19号により、境内・墓地はよごれました。しかし、お檀家のお墓は全て無事です。現在、参道を清掃中です。お昼頃から清潔になります。

隅田川の近く(80m)にある福性寺ですが、大きな被害はありませんでした。ご安心ください。北区滝野川や福島県からお見舞いのお電話を有難うございました。

福性寺の境内や墓地には、雨水浸透マスが15あります。直径は35㎝です。昨日・今日は大活躍していました。境内地に降った雨を大地に戻すためです。写真の浸透マスは、まだ水を吸い込んでいます。昨日、墓地を歩きました。多くの浸透マスが水を吸い込んでいました。

雨水浸透マスがたくさんあっても、樹齢60年以上のヒマラヤ杉の樹が3本も枯れそうです。私の子供時代に植えて成長を見てきた木が枯れるのはさみしいです。長年にわたり、植木職人さんの手をわずらわせてきた樹です。このため、今年のうちに浸透マスを新に四つ作ることになっています。

地表から見ると浸透マスと同じ形ですが、別の二つは下水とつながっています。また、正方形の下水につながるマスもあります。

皆様のお家でも、浸透マスを備えてみてはいかかでしょうか?

多くの雨水浸透マスが、「虚空蔵菩薩」のように無限の力を持って、雨水を大地に還元してくれる!「地蔵菩薩」のように大地の樹々など生物をはぐくむ力となってくれるといいですね。雨水浸透マスに期待しすぎでしょうか?


2019年10月4日

昨日(10月3日・木曜日)梶原銀座地蔵尊まつりで加持祈祷・読経をしました。お寺の行事ではなくて「梶原銀座商店街」のおまつりです。

梶原地蔵尊まつりにおける加持祈祷と読経

梶原地蔵尊まつりにおける加持祈祷と読経

この愛宕地蔵尊は子育て地蔵尊です。江戸時代から信仰を集めていました。江戸時代の梶原堀之内村の領主であった水野家から当地の小泉家が勧請(仏様を新たに迎えること)したものです。

地蔵尊のお守りを加持(お地蔵様の真言を音読し特別な力を与えます)し、先着250名の皆様にお守りを配布しました。皆様のお願いごとを、地蔵尊の誓いとしてもらいました。

なかなかの人出がありました。しかし導師ですから、「キョロキョロ」人出を数えることができません。威厳のある(ないですけれど!)態度で参加しました。

「梶原いろは亭」の落語家の皆様もおいでになっていました。

今日(4日・金曜日)は、4時から「お楽しみ抽選会」があります。100名分の景品があります。

さらに、「梶原いろは亭」(寄席 https://irohatei.jp/)のチケット10名分が景品です。


2019年10月2日

令和元年2019年9月16日「蓮と真言宗の里帰り権田雷斧師」の記事の中の「伝法灌頂」とは何ですか?メールによるご質問を頂きました。

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4280

この記事を書く前に、以下の帽子の記事のために「帽子」の写真を探しておりました。

令和元年2019年8月9日 「帽子売り場の写真ですか?」

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4064

令和元年2019年8月23日「防寒のための帽子お寺の世界の帽子とは」

http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4124

帽子の写真を探しているとき、先代住職の「伝法灌頂」の記念写真が出てきました。この写真は、私の生まれる前の年(昭和23年1948年)に撮影しています。

「灌頂」とは、頭に水をそそいで、仏道がある段階にまで進んだことをしめす儀式といえます。そそぐ水はとても少ないので、びしょぬれにはなりません。

昭和23年1948年4月2日伝法潅頂厳修記念と書かれています

昭和23年1948年4月2日 伝法潅頂厳修記念と書かれています 中央が先代住職 帽子を着用しています 皆様がとても威厳がありますね

「伝法灌頂(でんぽうかんじょう)」とは、お大師様(弘法大師)が唐の都・長安の青龍寺で、恵果阿闍梨からこの灌頂を受け(805年)、日本に伝えました。お大師様は「伝法灌頂」を受けた翌年・806年に唐(チャイナ大陸)から帰国しています。

真言宗における「四度加行(しどけぎょう)」という密教の修行を真言宗寺院(=道場)で終わり、一定の僧侶の階級をえた人のみが受けることができます。灌頂の中の最後の灌頂と言えるのでしょうか。

お大師様(弘法大師)以来の真言宗の1200年以上の歴史の中で受け継がれてきた法を伝え受け継ぐための秘密の儀式です。

このため、お檀家や一般の皆様は見ることができません。また、灌頂自体の写真もありません。

「伝法灌頂」において秘法を伝えた側の僧侶は、「伝燈大阿闍梨(でんとうだいあじゃり)」となります。授かった側の僧侶(受者)は、真言宗の僧侶として、ふさわしい僧侶として認められます。また、伝法灌頂を受け伝燈大阿闍梨の位を得て、弟子を持つこと(教師資格)が許され、いわば、正式の僧侶となるとも考えられます。

以上は真言宗の専門家(宗乗学者)からみましたら、簡単すぎて冗談のような説明だと思います。専門家の皆様!ごめんなさい。追加事項をメールでご教示下さい。

次回以降に私の「伝法灌頂」を書きますね。


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