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2023年9月2日

中華人民共和国 団体参拝 平成元年1989年10月

中華人民共和国への団体参拝についてこれから書くと書きました。令和5年2023年8月19日周口店博物館・・・盧溝橋・・・  http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/19479

いつも長文ですが、今回は特に長いです。

私が何度か中華人民共和国に出かけたころ、法類(師匠・弟子・兄弟弟子から発生したグループ)の新井豊誉師と小松原俊誉師から「一緒に出かけよう」との提案がありました。田久保さんが幹事になってよ!とのことで旅行社を探し、お檀家にも声をかけて3か寺の合同団体参拝となりました。20人に満たない一行です。北京と西安に出かけました。

毎回の中国旅行の記事と同様に、皆さんがよくご存知の事柄やガイドブックに書いてある事は除いて「どうでもよいこと」を書きます。つまり「外伝」(笑)だけです。世間話ですね。

平成元年1989年10月です。6月に天安門事件のあった直後です。民主のない国に旅行することについて、疑問を頂きました。出かけたい皆さんが多く、ちょっとした決心をして出かけました。というのは、銃が流失していて治安にも問題があるとのことでした。

北京では、いたるところに人民解放軍の若い兵士が小銃を持って立っていました。高校生が小銃を持っているように見えました。

通常の観光コースをまわりましたが、日中戦争関連の場所は行きませんでした。

訪問した寺では、般若心経を読みます。しかし、坊さん3人の意見がまとまると心経は省略となります。日本の寺と異なり、建物はあってもお経を読みたくなったり、拝みたくなる仏様:仏像はなかなかないです。

ちょっと前、話題になった「研修旅行なのに実はパリの観光旅行では?」(松〇〇〇自民党女性局長)との批判がありました。同様に「団体参拝なのに物見遊山?」(笑)でも、私は外国旅行は観光だけでも十分研修と思っています。

なぜか賓客用の釣魚台国賓館に泊まることができました。天安門事件の直後で、賓客も観光客も、誰もいなかったからかなと思います。西洋式のお風呂の使い方を知らないお檀家の参加があり、部屋を水浸しにして、罰金を払いました。

天安門事件のあとで、北京では、どの観光地・寺院もすいています。北京では、天安門の上へはエレベーターで昇りました。門の上もエレベーターもガラガラでした。私たちだけ。兵士の方が多かったです。ただ、現地の通訳さん(ガイド)も天安門広場で、民主化デモに参加したようです。立派です。命がけですから。民主のない国ですから、今後をとても心配していました。安全でいることを祈ります。

興教寺への往路 道を間違えてバスが曲がることができなくなりました 危険なので下車しました

興教寺への往路 道を間違えてバスが曲がることができなくなりました 危険なので下車しました 安全第一!運転手さんを信じていません 左から福〇〇〇子様 母雅子です

西安市内の慈恩寺は、玄奘三蔵の訳経の寺です。若い中国人のカップルが多く、ガラガラではありませんでした。大雁塔に登るのも次から次へです。あとホコリがひどい。高齢者の多い一行は、若い人についていけず苦労しました。玄奘三蔵の見たことのある風景を見たいということで、一生懸命でした。シルクロードの方向を見ると、屋根は砂ぼこりをかぶっていて薄茶色の世界でした。緑(木)は少なかったです。

やはり市内の青龍寺の跡地には、紀念碑とお土産屋さんがあります。また「恵果空海紀念堂(昭和59年1984年)」があります。「ご本尊様」は、恵果阿闍梨と弘法大師です。並んでいます。

注意するべきはお堂の名前が「恵果空海紀念堂」です。紀念堂であって、布教するための建物(寺)ではありません。オール真言宗が建設費を出しました。紀念堂の中には、お土産売り場がありました。別にお大師様の紀念碑などもあります。また日本人が贈った木や記念碑などがあります。住職はいなかったと思います。つまり日本人「観光客」のために、日本人が作ったとは、言いすぎでしょうか。

興教寺にも出かけました。西安の町の中からバスで1時間です。運転手さんが道を間違えました。周囲は農村地帯、麦畑です。玄奘三蔵の遺骨塔のある寺です。黄巣の乱(874年~)の時に遺骨は盗まれてしまったと聞いていました。南京戦(1942年)の時、南京市雨花台で発掘されています。

平成29年2017年5月6日玄奘祭・・・  http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/482

令和元年2019年5月6日住職の休日 玄奘(げんじょう)祭・・・  http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/3369

令和3年2021年1月1日 令和3年2021年新年読経会元旦11時の会 玄奘三蔵の分骨 http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/7780

住職は常明師で、以前の参拝でお檀家からの寄付を届けています。名刺を頂きました。文化大革命中は漢方医をしていたと話していました。文化大革命中に、破壊や暴力はなかったんですか?とは聞きませんでした。なかったらしいです。

出かけますと旧知の常明師が玄奘三蔵塔の中から「瓔珞などのついた黄金色の厨子」を取り出し拝観を許してくれました。特例みたいです。三蔵の遺骨が入っています。盗まれたことは?と質問はしませんでした。

大雄殿(本堂)の後ろの立派な建物の涅槃仏の前に、農民風のたくさんの中国人が集まっていました。彼らが般若心経をよんだ後、私たちも読経しました。ここには仏教があると感じました。

康有為が書いた扁額があり驚きました。現代中国での評価は知りませんが、清朝末期の政治家として、明治維新後の日本を改革の手本としていたと思います(高校の世界史の教科書)。

途中の村のお手洗いは、大きな穴の上に板が一枚だけありました。①です。用を足すのになかなか難しい構造でした。なんで板が二枚ないのかしら。見たことのない大きなハエがいました。さすが大陸ですね。

教寺にて右から浅水稔様 母 福田きよ子様 私です 1人おいて木蘭色の法衣は常明師です

興教寺にて右から浅〇〇様 母 福〇〇〇子様 私です 1人おいて木蘭色の法衣は常明師です 大きな涅槃仏の前です

大興善寺の建物は広い境内、公園の中にあります。毎日読む般若理趣経の翻訳者である不空三蔵(恵果阿闍梨の師)の寺です。インド系の三蔵です。訪問時の住職は慧雨師でした。だいぶお酒を飲む方のようでした。近くでは白酒(ばいじゅう)の香りがします。

碑林や万里の長城(八達嶺)もガラガラでした。その後数年して出かけた時には、どちらも歩けないほどの人でした。

少しだけ食べ物にふれます。北京ダックは食べました。日本のモズクガニのようなカニも食べました。小さかったです。もっと大きいのを食べたかったとの意見あり。どの都市でも、その料理の一流の飯店に出かけました。しかし、取り立てて言うほどの物はないと同行者が話していました。

ところで新井師と小松原師は私の歳の近い法類の先輩ですから、楽しすぎる旅行となりました。すでに成田空港から話がはずみました。毎回、昼食と夕食には、地場のビールがでます。青島ビールだけは有料です。地場のビールは無料でした。当然、安全を考えて青島ビールを飲みました。

楽しすぎて、お檀家を置いてきぼりにしないように注意しました。東京からの旅行社の日本人添乗員にも、特に注意をお願いしました。ところがダメですねー!次の目的地に到着するまで気がつきませんでした。日本人添乗員を乗せずに次の観光地まで出かけました。戻ったのですが添乗員は非常に不機嫌(笑)で、吸っていたタバコを地面に投げ捨ててしまいました。いけませんネー!

中国にはポイ捨ての監視役が町中にいました。その場で罰金を徴収されました。千円か2千円だったと思います。領収書をくれました。警官ではありません。町の中にたくさん監視役がいるとは!さすが。 それでも、車に戻った添乗員さんは、皆さんから訳のわからない拍手で迎えられました。

改めて中国が監視社会であることを思い出しました。現在もですが、建国以来と思います。

ところで、新井豊誉師と小松原俊誉師は故人となっています。仏教・お寺の世界の友人、他人思いの皆さんを失いました。とてもさみしいです。

令和元年2019年9月16日 蓮と真言宗の里帰り 権田雷斧師  http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/4280

令和2年2020年6月8日 天安門事件31周年 中華人民共和国旅行http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/6139 

平成30年2018年12月14日西域の砂嵐 玄奘(げんじょう)三蔵 http://fukushoji-horifune.net/blog/archives/2161


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